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メッセージ from ひとみみのる


「櫻源郷」(櫻花源記)

これまでにある方とメールを交換し、交歓しています。何れ巷間公刊したいと冗談では思いますが、さてさてそれはともかくも、皆様には好感を持っていただけるでしょうか?
以下、抜粋(また、その方の文体を若干変えています)


2015年3月9日
・・・時間の感覚って本当に不思議です。たった数日なのにその時間が一ヶ月以上にも感じてしまうのはなぜ?脳はどんなふうにこの感覚を情報処理しているのでしょうか。・・・。

2015年3月9日
確かに時間の経過は不思議です、一瞬が長時間に思えたり、長時間が一瞬に覚えたり、多分に精神的なものです。たとえその尺度は物理的なものであっても。
一昨日(3月9日)上野公園交番の横、正面入り口の桜が咲き始めていました。
例年、上野公園でもこの場所の桜は開花が早いのですが3月初旬で見られる今年はやや早いような気がします。きっと、待ちきれず全山に春の到来をいち早く告知しているのでしょう。文字通り「告春鳥」のように。彼らはもうすぐすると忙しくなりますね、桜の小梢から小梢へと。
上野には地名で「鶯谷」という場所がありますが、墓地の谷中のそばです。その近くは日の沈む里、「日暮里」(明治末、後に中国の有名な作家となる魯迅(1881-1936)が留学生として東北大学への路程で通り、中国語では『日暮れの中(里)』の意になり、面白い地名だと言ったそうです)がありますが、平安末鎌倉初北面の武士で、詩人で有名な西行(1118-1190)は「日暮れの里」辺りの上野で死んだわけではありませんが、

「ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ」(山家集)

この歌が、何か僕には上野と共に連想されます。


2015年3月10日
上野公園交番の横 正面入口の桜は毎年早く咲くのですね。・・・もしかしてその桜は染井吉野ではなく、寒桜という種類の桜かもしれません。・・・様々な品種を誕生させることができるそうです。そして いつの間にか600種超え・・・〝楊貴妃〟という名の桜もあります。・・・

2015年3月12日
桜の種類が600種もあるのですか。それは本当に驚きですね。一番有名な種が染井吉野ということぐらいは知っていますが、やはりその八割が染井吉野ということだそうです。
ともかく、奈良吉野の山桜は200種3万本もの山桜が見られるそうですが、全山さくら、さくら、桜花桜花で、この世の春を謳歌していて見に行くと、中国六朝時代の隠逸詩人陶淵明(465-427)が『桃花源記』で書いた「桃花の林」以上に、見事でしょうね。
かつてこの地に西行は庵を結び、時代は下りますが、豊臣秀吉(1537-1598)も見に行ったことあるそうです。
そういえば、最初に遷都された平安京のメインストリートは朱雀大路といいますが、秀吉の屋敷「聚楽第」はこの通りにありました。何時頃からなのか知りませんが、秀吉の馬印「千成」として知られることからくるのかもしれませんが、この通りを「千本通り」と言います。それは吉野の「千本桜」から来たのかもしれませんね。ついでながら、僕の出生した病院はここ「聚楽廻」でした。何だかすごく秀吉に親近感を感じます。本名は「豊=みのる」の命名も豊臣氏との縁語だと父親は考えたのでしょう。
江戸の頃、作られたといわれる古謡「さくらさくら」は中国語では「桜花啊,桜花啊」と言います。中国の歌詞は様々ありますが、以下に一例を挙げます。


「樱花啊,樱花啊」(桜花や、桜花)
樱花啊,樱花啊,
暮春三月天空里,
万里无云多明净,
如同彩霞如白云,
美丽芳芳香扑鼻,
快来呀,快来呀,
同去看樱花。 
桜花や、桜花
暮春三月、天空里(リ:なか)
万里雲無く、明浄多し
彩霞の如同(如同=如し)く、白雲の如し
美麗なる芳香は鼻を撲(う)
(はや)く来たれ、快(はや)く来たれ
同(とも)に去(ゆ)きて、桜花を看ん

「さくら、さくら」(桜花、桜花)

さくら、さくら
見渡す天(そら)に
明るく映えて
白雪(しらゆき)の よう
光 輝く
早く、お出で
看に、行こう。
(瞳みのる2015年3月11日漢文訓読及び作詞《この原文・日語詞は歌えます》)

                    この次機会があれば是非「楊貴妃」を看たいものです。

[photo]  2015年3月12日の桜  >>

 ひとみみのる(豊)記
2015年3月13日(金)



「フクロウ」

皆様今日は!
『仲麻呂と楊貴妃』の公演以後ずいぶん時間が過ぎましたが、その後皆様お変わりございませんか。久々にお便りします。まさしく頼りのない僕は依然変わりなく、日本にいてこれからのための仕事の準備をしています。

唐突ですが、今朝(と言ってもほとんど昼)寝床の中で思いついた「フクロウ」という言葉、それについて二三紹介します。
フクロウの鼠」。
夜行性のフクロウは野鼠を捕食しますが、その捕まえられた獲物は、当然「袋の鼠」。

おふくろ」。
フクロウの母をいいます。

おふくろさん」。
この曲を歌うのは、森進一で彼のヒット曲です。彼とは昔同じ渡辺プロダクションとういう芸能事務所に所属しました。作詞者の故川内康範は歌詞内容に関して、彼とかつて悶着があったそうですね。これは、人騒がせな「おふくろさん」です。

フクロウ茸」。
フクロウ茸は中国が原産のキノコ、鍋に入れたり煮たり、炒めたりして食べますが美味いですね。
フクロウのキノコは「フクロウ茸」と言いますが、勿論、フクロウが鼠以外に「フクロウ茸」を好きだとは聞いておりません。また、生の「フクロウ茸」の他に缶詰もあります。

もりのふくろう」。
落語家として、もと笑福亭福郎と言いましたが、藤山直美の父、やはり大阪出身の喜劇人故藤山寛美の命名で「森乃福郎」とその後改名したそうです。彼は上方で活躍した落語家・タレントで京都先斗町の生まれ。京都府立鴨沂高校出身で沢田研二の先輩になります。もうすでに亡くなられていますが、岸部四郎は今でも最も好きな芸人だということです。

キノコ ドコノコ キノコノコ」。
やはりキノコはキノコでした。
他愛もない話お付き合いくださり有難うございました。皆様のご精読?
ご「フクロウ様」でした。
お後がよろしいようで。


 ひとみみのる
2015年2月24日



「公演終了ご挨拶」

枕話「すき焼き」                
昨日、昨夜共に久々に十分睡眠時間が摂れ深い眠りに大満足しました。
ただ、昨夜は5日ぶりの自宅、外食にはもううんざりしていて、近くのスーパーに行く前、焼きそばとお好み焼きを作ろうと出かけたのですが、上手そうな牛肉を見ると気が変わって、すき焼きにしてしまいました。準備が簡単なので。
まず、刺身を肴にビールで一杯、そして、めったに日本酒は飲まないのですが、すき焼きには特にこの季節熱燗が合いそうなのでそれをチビチビと始め、すき焼きに取り掛かりました。京都風なので、東京のように割り下を作らないで、牛脂を鉄鍋に敷き、牛肉・葱・豆腐・白滝・椎茸など、ついで砂糖、醤油、酒という順に入れて溶き卵の浸けて食べたのですが、思わず吐き出してしまいました。
というのも、大量に砂糖と思って入れたのが、同量の塩だったのです。自宅の「砂糖と塩」は隣り合わせに置いてあり、「さとう・としお」君は別に置くべきだと何時も反省するのですが、あまり普段は「さとう」君は使わないので、まぁいいかと並べて置いておいているのが敗因でした。
そこで、急いで鍋を洗い、今一度気を取り直して作ったのでした。今度は大丈夫と思ったのですが、鍋ばかり洗うことに気を取られて、また早く食べたいと気が逸り、調味用の容器を取り換えることを忘れ、またもや失敗しました。いい加減自分で自分が嫌になって来ました、再再度先ほどと同様に鍋を洗ったのですが、二度も塩で煮た具材は大量に「さとう君」を入れてももうすっかり「としお君」に馴染んでおり、結局甘辛いすき焼きを食べる羽目になりました。
今後は、さとう君ととしおさん君は別居してもらった方がいいようです。しかしまだ同居しているのでトラブルは再再再・・・発しそうです。

閑話休題
「本題」
今回は、東京俳優座、大阪ドーンセンター、名古屋西文化小劇場など計8公演、どの会場も盛況のうちに無事公演を終えることが出来ました。ご来場くださった方、都合で来られなかった方々皆様の心よりご支援の賜物と感謝いたしております。何時もですが、どれだけこのようなご支援・ご支持が励みになっているか計り知れません。
また、各会場でも素晴らしいお花や心のこもった贈り物を戴き有難うございました。お一人ずつに直接お礼を申し上げたいのですが、それはならないのでこの紙面をお借りしてお礼申し上げます。
今後も精進してまいりますので、よろしくお願致します。

 ひとみみのる 拝
2015年2月9日



新年は新念

「便りのないのはよい便り」などと言いますが。便りがなくて頼りないでしょうか?
頼りないのは頼れなくて困りますが、頼りが過ぎるのも頼り過ぎで同様困ります。
白身の美味い夏の魚の代表「
コチ」、あちこちに出回るのは夏ですが、菅原道真(845-903)は春だといいます。
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花主なしとて春なわすれそ」と詠みました。
遣唐使の派遣を検討し、中止を彼は唱えたといわれていますが、皮肉にも多くの遣唐使が唐の国に渡ったところが、彼が流され没した大宰府近くの博多湾ですよね。
その地から最澄(767-822)も空海(774-835)も唐土に渡りました。
我らが留学生の最優秀選手阿倍仲麻呂(698-770)は717年19歳で渡唐しました。この物語は今年の演目。乞うご期待!

新年は新念、新年国旗に克己を誓い、心念も新たに信念堅持、澤田堅持ではなく、愚者の一得、賢者の一失、樹を見て森本を見ず、人見四郎は平家物語、驕れる虎は久しからず、虎視眈々と虎子を得ようと、虎穴に入らずば虎子を得ずとばかりに。
旧年過去、今年今来、信頼進来、信念新来、心年心念、心燃身粘、心新心慎、
真念専念、千年万年、心開身快、心鮮身仙!
信念快楽、新年快楽!


2015年1月1日 肝胆相照らす元旦。2015年1月1日北京にて「邯鄲夢枕」
ひとみみのる



北京便り:「貴方へのたよりだけが僕のたよりです」

今日は北京にある駐中国日本大使館にお招きを戴き、一足早い日本国天皇陛下の誕生日を祝う会に出席して参りました。
日本に居ればこのような会に出られることもないので、せっかくの好機、皇紀何年かは、康熙字典を引いてもわかりませんが、中国の高級車の紅旗に乗らず運転手付き友人のドイツ車の高級車アウディに便乗させてもらって、千載一遇のチャンスとばかり、臨席される高貴な方々を好奇な目で拝見しようというわけでした。
日頃、駐中日本大使館には、木寺大使をはじめ多くの大使館員の方々のお世話になっており、大使ご夫妻には分け隔てなく特に懇意にしていただき、そのお礼もご挨拶も兼ねて喜んで伺いました。
参会者は恐らく1000人は超えるほど盛大なもので、日本の企業の方などが最も多いのですが(嬉しいことに僕の教員時代の教え子もちらほらいました)、当然当地中国をはじめ世界各国の中国代表が、民間・武官・文官を問わず参集されていました。
日本は憲法で戦争の放棄を永久に謳っていますが、逆に変なものでこの日本の平和時、武官の制服を見ているだけでも楽しいものでした。しかしながら、これからは日中戦争のように、それぞれの国の軍服を着て互いに戦争をし合わないことをひたすら望むばかりです。
それはそれとして、このような催しを世界中の日本大使館で行われているのであるとしたら、日本の外務省も大変なことだと思いましたが、単に日中間に限定しても、国家間の関係がぎくしゃくしている今日だけに、これだけの規模でこのような会が行われば、一衣帯水、隣国間の友好の一環に貢献することは間違いないだろうと確信されました。

[photo]  一足早い日本国天皇陛下の誕生日を祝う会  >>


ひとみみのる
2014年11月27日



皆様その後お変わりございませんか?随分御無沙汰致しました。 というわけで久しぶりに筆を執りました。

〔APEC〕(功罪)

先ごろ北京でのAPECが行われた最終日2014年11月12日に、僕は当地にやって来ました。東京は秋たけなわで紅葉もこれからだったのに、北京ではもう一足先に最低気温が零下で厳冬の世界、いつもは北京へ来ると時差の関係で一時間得をするのに、この季節の早送りは何だかシーズン一つ損したような気分にとらわれました。
この会議によって北京ではこの期間大規模な交通規制が行われたり、工場が操業を停止したり、学校が休業になったりしたのですが、この規制のおかげで北京の大気は数段綺麗になったとのこと。今日現在ではもうすでに元の木阿弥ですが。これなら永遠に会議をしてくれたらどんなによいのにと思うことしきりです。


〔随乡入俗〕(郷に入れば郷に従え)
北京の自宅に戻るといつも決まって、何かしら変更・変化があります。夕方自宅マンションへ帰宅し、棟の裏口から入ったのですが、その時丁度入る人がいたために便乗してオートロック式のカードを使わず入りましたが、夜、食事に出かけて正門から入ろうとしたら、その門の位置がまた変わっていたのでいぶかしく思いこそしましたが、これまでのカードが全く反応しないので、門衛に尋ねました。マンションの開錠カードはコイン型のチップ式に二日前に変わったとのことです。
門衛は開けてくれたのですが、今度は自分の住むマンション棟正面から、出るのは不要ですが、入ることが出来ず、しばらく誰か入る人を待たねばならなくなりました。幸い夜も遅くなかったので出入りの人がいて難無きを得ましたが、深夜に帰って来て自分のマンションの前でずっと待つていたら、風邪を引くのを通り越して、オバーな話、凍え死んでいたかもしれません。マンション群棟を管理する事務所は明朝にならなければそのカードとチップの交換手続きができないのですから。それにしても予告なしの突然の変更は困りものです。
また、空調が夏バージョンから冬バージョンに変り、その都度そのために集合マンションの設備関係の作業員の労を煩わせねばなりません。今回は三度、足掛け三日間来てもらい漸く暖房準備が整いました。でも暖房は全市一斉なので11月15日からとのこと。それまでは寒さをひたすら我慢することになります。


〔缶切り〕

「歳は取りたくない」と人はよくいいますが、大概は物覚えの悪さや自分の物忘れの酷さを指していうことが多いようです。そのような人はきっと年若いころから記憶力が優れていたのに、今は往時の力に及ばないと嘆いているのでしょう。
僕など、小さい頃より物覚えがいたって悪く、それに輪をかけたように物忘れが猛烈に酷いので、今現在においても記憶力が及ばなくてもがっかりはしません。
それは当然、昔も今も変わらずに記憶が明晰なことがいいように思われますが、しかしあまり記憶がよすぎると、よいことも悪いことも何でもかんでもしっかり覚えていて、つらいことも多いだろうにと同情したくなるのです。この点では僕にはそれがよいのか悪いのか、いまだによくわからないような気持になることが多々あります。でも、何かこんな風に考えるから、自分の記憶力が昔から向上しないのかもしれません。

昨日は昼間から自宅で午後7時30分まで来春一月から始まる演劇公演の台本の手直しをしていて、外に出かけて食事するのは億劫になり、自宅のある食材で食事を作ることに腹を決めました。
メニューはカニサラダ(奮発して日本から持ってきた高級タラバ蟹缶詰)のサラダ(レタス・トマト・キュウリ・セロリ・マヨネーズ)、とボンゴレ(前日スーパーで買って使用しなかったアサリ・マッシュルーム・玉ねぎ・ニンニク・鷹の爪、日本酒⦅白ワインの代用⦆)、すべて8時過ぎにスタンバイ。後はカニ缶を開けてすでに切って盛った野菜の皿の上に載せれば、食事の開始。
いざ、缶を開けようとして缶切りを探した。探すこと15分見つからない。ビールの栓やワインの蓋なら開ける道具がなくても何とか開けられる。しかし、缶切りがなければ缶を開ける方法は思いつかない。ドライバーと金槌では到底無理。
困り果てて、自宅マンションに近い金物屋に行くも缶切りは置いてない。店屋の話では大きなスーパー(京客隆という店名)にあるという。そこで、その足でそのスーパーへ行った。歩いて15分(餓えているので早足で10分)、店のそれが置かれていると思しきところで探したが、栓抜きやワインオープナーの類はあるが、それらしきものは見当たらない。そこでやや離れたところにいた店員に戻って聞くと、ぶっきら棒に遠くを指さしてあそこだという。しかしすでに僕が見たところなので、見逃しているかもしれないので一緒に探してくれないかというと、露骨に嫌な顔をして自分で探せという。それでも僕はひるまず、彼女を駆り立てた、彼女は不承不承ついて来て、ざっと探してくれたが、結局見つからず。最後に例の中国人がよく言う「没有!」と言い放ち、更にここになければ「ない!」と付け加えた。
結局、彼女とのやり取りを通じて感じたのは、これまでに「缶切り」なるものを彼女は見たことがなく、もちろん使ったこともないではということであった。それは、その前に行った荒物屋やその後に行った荒物屋でもその存在自体を知らないようである。
かつて、中国人に料理の作った際、手伝ってもらおうと缶詰の缶を開けてくれと言ったら、ポカンとして開け方を知らなかった。
思うに中国では最近ワンタッチで開けられるマグロのツナーのような缶詰はあるようだが、缶切りを使って開けるような缶詰はないのであろう。
缶詰(恐らく戦後特にアメリカ進駐軍が大量に持ち込んでから普及したのではないでしょうか)は我々日本人は保存食の最たるものとして長い年月食してきたが、中国では一般化してこなかったのかもしれない。中国では瓶詰の類はよく見かけるが。
結局、見つからずにトボトボと酒の肴にしようと思っていた幻のカニサラダ(そういえばカニの缶詰、特にタラバ蟹の缶詰を中国で見たことはこれまでにない)を食べられないのかとがっかりして帰宅しました。時計の針はすでに9時を回っています。
それから、今一度缶切りを探してみました。
なんと!完全に諦めていた青色の缶切りが台所厨房の引き出しの隅にありました。その発見した喜び、このような缶切り自体に至上の有難味を感じたのはこの生涯初めてでした。。
食べ終わた後に思いました。その料理の写真を撮っておくべきだったと。
缶オープナーなどの写真だけでも記念でということでついでながら掲載しておきます。
物覚え、物忘れもうここまで来たら最悪に近いですね。


[photo]  缶オープナー  >>


ひとみみのる
2014年11月24日(勤労感謝の日振替休日、ハッピーマンデー)


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