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メッセージ from ひとみみのる


『三春賦』(孟・仲・季)

「春はあけぼの」と清少納言は『枕草子』で言い、「春は早春、秋は晩秋」と言わなかったのですが、僕は特にこの季節が好きです。
季節が移ろう中で、特に春秋はアクセントとして彩に満ち満ち、日本の一年を素晴らしいものにしてくれます。
芹洋子さんの「四季の歌」は、「北国の春」と並んで中国人の大好きな日本語の歌ですが、駐中国日本大使の木寺昌人さんは、昨年秋、日本大使館後援で彼女のコンサートがあったおり、中国人がこの歌が好きなのは、一年の間に画然と四季がある日本の風土が魅力なのではないかと言われたそうですが、確かに北京あたりで暮らしていると、相対的に春・秋が短く、冬・夏の長いことから一層そのように思われてくるのでしょう。

春の代表、というよりも日本の春を代表する花は何と言っても桜花でしょう。
「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし」と
在原業平は詠いました(『古今和歌集』)。

「願はくは 花の下にて 春死なむ その如月の 望月のころ」と、
西行は詠いました(『続古今和歌集』)。

今年はエート、エト、干支は猿。 
春の心は、騒がしい猿の心のよう、
「心猿意馬」と言う成語がありますが、辞書などでは次のような説明があります。
「意馬心猿」ともいい、気もそぞろなこと(多くは色欲にとらわれて)気が落ち着かず仕事に専心できない。 心にはたらく煩悩・妄念の制し難いことを、猿がわめき騒ぐことをたとえていう語。

現在甲子園では、春の選抜高校野球の試合が行われ、連日激戦が続いていますが、どういうわけかいつも何となく気になり、、気持ちは平安(今日2016年3月26日現在、竜谷大平安高校はベストエイトに勝ち進みました)ですが、心が騒ぐのは、郷土への思いがあるからなのでしょうか。

また西行は『新古今和歌集』で、
「ふりつみし 高嶺のみ 雪とけにけり 清滝川の 水の白波」と詠いましたが、確かにこの清滝は夏でもひんやりと涼しく、有名な京都西山の観光地高雄と嵐山に挟まれていますが、そのわりにひっそりしたところです。
この地にも今はすでに春は訪れ、椿が枯れ、早春の梅が去り、新緑の到来前に、春を待つ桜の出現、心浮き立つ季節となっていることでしょう。
故郷の春、雪解けの清流を経て、今や目下春たけなわ、我が身は東京かつて高、暮らしは現下沖ならぬ泥、年始は〆ですが。


 ひとみみのる 記 2016年3月26日

なお、近況お知らせまで:
ようやく昨年12月カキツバタ・ライブツアーの最終公演を収録したDVD・Blu-rayが出て、現在、来る5月3、4日両日良日の音・文の「楽学会」の集いに向けて準備に余念がありませんが、ただ、その期間として四年あれば十分すぎるのですが、残すところ一月余り鋭意奮闘努力中です。
残すところチケットがまだ少しあります。皆様、こぞってご来場くださるよう 心よりお待ちしております。

「瞳みのる&二十二世紀バンド ライブ ツアー 2015 ~Let’s Go “カキツバタ”~」DVD・Blu-ray発売     『瞳みのる 音楽と文学(の)デ(イ&)ナイト』




「アウェーからホームへ」

3月7日、日本に戻りました。
間欠的にではありますが、2009年3月から2016年3月まで7年間住み慣れた北京の寓居を引き払い、完全に東京の住居一か所だけに住むことにしました。一口に7年間といいますが、実際生活してみると、様々な生活用品が溜まるもので、いざ引越しとなるとこれらの処分も大変でした。
当日、午後便で北京を発ち、夜8時に東京へ着いたのですが、東京の気温は北京あたりから戻ると亜熱帯のような感覚で、北京がカラカラに乾燥しているのに比べると、何としっとりとして潤いがあるものだと改めて思えて来ました。今回は厳冬、厳寒、極寒の日に北京に到着して、その冬の終わりまでいたのですから、しっかりとその間の気候を見届けたような気分になりました。
と言うのも、この地でこの春節前後を過ごすのは留学時代以来30数年ぶりでということでもあったのですが、このような、気候の地に暮らすと温暖な東京辺りの人間にはない厳しさが自然と身につくように感じられました。
今回北京を離れる際に、何か今後のこともあろうかと思い、天安門で記念写真を撮っておこうと考えたのです。そこで、これまで何度も訪れているので、その手前の王府井で地下鉄を降り1駅の間、天安門駅前まで歩いて行こうと思ったのです。それが誤りでしたが、また思わぬ勉強にもなりました。
その日の数日前から、毎年一度、中国での政治的に重要な最大イベント、「中国人民政治協商会議」、それに続いて「全国人民代表大会」が天安門広場西端にある「人民大会堂」が議事堂となって開かれます。それは一般に「両会」と呼ばれています。
このような時期に天安門前に行こうとしたのが間違いだったようです。仮に「天安門前広場」へ行くなり、その門内の「故宮博物館」に行くなりするのならまだしも、単に東の王府井から天安門前の長安街の直線距離約1㎞を通り抜けようとしただけであったのですが、普段およそ15分位あれば十分に通り抜けられるところ、何と1時間半近くもかかりました。
天安門直前では、身分証の提示、持ち物検査などが厳重に行われているため、横五人程度の人間が約200メートル以上縦隊を作ってその検査を待たねばならなくなるのでした。よほど並ぶのを止して引き返そうと思ったのですが、一旦並んだ以上、僕の性格上引返すことはできないので結局並ぶことにしたのでした。
愈々その検査を受ける段になってこんなに時間がかかる理由が漸く分かりました。
古くは旧ソ連時代、横浜からナホトカへ入国する際、持ち物、特に日本地図(なかんずく北方四島の国境線辺りを丹念に見ていたようでした)を携行していたためか、入管に配置された国境警備官に念入りに調べられたことや、日本や香港でディズニーランドに行った際など、係員に持ち物の中身を簡単に調べられたことがありましたが、今回は5月の公演や次回ライブに備え、覚えようとして携行していた歌詞のプリント20数枚まで「武装警察(武警)」は1枚1枚調べるのでした。僕は、こんなに詳細に調べるのでは時間がかかるのは当然だと思いました。
しかし、今日は天安門前を単に通過するのに外国人はパスポートなどが必要であり、辺りに警察犬を連れた「武警」が辺りを行ったり来たりして物々しく警戒していました。
警備箇所は3か所あって1か所に武警は男女併せて4~5人いるのでした。僕はそのリーダーと思しき男性武警官が余りにも丁寧に見ているので、歌詞の意味が分かるのか尋ねました。というのも中国語は別にして、僕の持っている歌詞は英語、日本語、ドイツ語が大半なのですから。しかし、彼は一言も答えてくれませんでした。

[photo]  ホームの春 >>

 ひとみみのる 記 2016年3月9日



「小龍蝦」(小(xiǎo)(lóng)(xiā))

先日(2月26日)、ある新聞社の北京駐在支局員、某テレビ局の社員、そして僕の三人で、北京市内の料理店に参りました。その料理店は、「工人体育館」という全中国的に名の知れたサッカースタジアムの北のゲート脇にあります。
写真>>の「小龍蝦」は記者が注文した一品です。皆様、この料理は一体どのようなものか想像できますか。「龍蝦」というのがあって、その小型版というわけですが、「龍蝦」は「イセエビ」のことです。それでは、この「「小龍蝦」は?
勿体ぶらずに言いますと、「ザリガニ」のことで、僕たちの世代の「男の子」がよく川や池で獲った「アメリカンザリガニ」なのです。
また、この近くにまた、東直門と言うところがありますが、その門の西の通りは「(guǐ)(jiē)」といい、「(huǒ)(guō)(火鍋)」で有名なのですが、通りは北新橋まで1・5㎞程続きます。この間は、日暮れから明け方まで皓皓と電飾に溢れ、東京・新宿の歌舞伎町さながら、まさに不夜城のようです。 ここで近年の人気がある食べ物がこの「ザリガニ」で、僕も昨年の夏に行きましたが、妙齢の女性でも一人数十匹を食べたりします。猛烈に辛く、主にビールですがその他飲み物なしには喉を通りません。料理法は簡単で、このザリガニを洗って、油で揚げて、その後大量の唐辛子で炒めるのです。いや其の辛さと言ったら筆舌に尽くし難いです。
僕などは幼少の頃、まずカエルを近くの池で捕まえて、足の部分だけを切り取って、皮を剝いで、タコ糸で縛り、池の中にいるザリガニに食いつかせて引き上げるという遊びをしていたものですが、これは釣り上げるだけが楽しみで、ついぞ食用は考えたことはなかったのです。
そんな、いわば食べられないと子供の頃から思っていたザリガニを食べるのですから、何とも言えず気持ちが悪くなりました。中国人の仲間数人で一昨年行ったのですが、皆年若いので、そんなことなどお構いなく美味しそうに食べていました。
そのザリガニをこの日、再び食べることになったのですが、食欲はわかず、ほんの付き合い程度で2、3匹食すに留めました。

話は戻りますが、今回件の店は、「工人体育館」というサッカースタジアムの北のゲート脇にあるといいましたが、このスタジアムはこの地区の有名な繁華街「三里屯」という街(もともと大使館街として有名)の近くにあるので、よくサッカー以外にも音楽の会場としても使われます。以前2011年9月にSMAPがコンサートをした場所でもあり、数万人を収容できます。
僕はいつも車窓からこのスタジアムを見ていましたが、今日初めて北門をくぐりました。世が世ならば僕たち、ザ・タイガースもこの地でコンサートができたのにという思いでいっぱいになりました。
あの当時のアジア、特に東アジアの韓国、北朝鮮、中国、台湾、香港などは大きな政治の緊張の渦中にあり、それどころではなかったのです。それぞれの国が他国の音楽を鑑賞することなどできるような時代ではなかったのです。
でも、そんなときに僕たち日本人はザ・ビートルズやザ・ローリングストーンズを聴き、楽しみ、その音楽を演奏することができたのですから幸せを感じないわけにはいきません。
その時、その渦に巻き込まれなかったことを改めて嬉しく思いますが、現在、その障壁がなくなってきていることをこの地で感じ、更なる開放を願います。音楽、特に旋律には、時間や空間はなく、国境や時代もないのですから。


[photo]  「小龍蝦」 >>

 ひとみみのる 記 2016年3月2日



「日日是好日(日々是れ好日)」「北京好日」いや「日々これ口実」というべきか。

猿年に因み、サル男の「こうてい」という語に「こうでい(拘泥)」して、書き送ってくれたメール(割愛)による戯言に対しての返信の戯言。
サルものは追わず、負けは家へいぬに如かず」と決め込んだ方が好いのかも。

学舎の校庭高低さがあった。
大使と食事したのは、公邸後庭
孔子の高弟は誰が最も孝悌か?
ペンギンでは皇帝が一番と肯定できるか?
日銀公定歩合、通達文は更訂可能。
行程航程に拠る。
工程が見えない光庭の工事。
オット、妻の孝貞考定できるか。
新聞記事の校訂作業はつまり校定

サル男はうどんで有名な讃岐出身、香川高松、四国遍路、彼の地の人士はまさに弘法に始まり、「多士済々」。言葉遊びは「お茶の子さいさい」「お茶漬けサラサラ」「朝麺前」。

[photo]  「春節前後」 >>

 春節後の北京にて  ひとみみのる作   2016年2月18日



「2月5日と1月24日」
今年の春節は8日(月)から中国全体が一週間程度休みになります。その前後が僕の個人的なことではありますが、22世紀バンドの関係で少し忙しくなります。

このところ、天候は好く、PM2.5も何処へやら、「苍井空=蒼井そら」ではなくて、文字通り「青い空」が広がっています。中国の青年男子なら青い空より蒼井空の方が絶対に人気があっていいに決まっていますが。
気温も1月23日は最低気温が-14度まで下がり午前の散歩では震えあがりましたが、自分としてはこんな極寒の体験は生まれて初めてでした。
旭川は日本で最低温度を記録した地ですが、真夏でも-41度が確か体験できるところがあり(今は不明)、塾高の教師時代修学旅行の生徒の引率で訪れたことがありますが、本当に寒く、更に風が吹くコーナーがあり、そこへ行くと5、6度は低く体感するようでした。でも、長時間そこにいるわけではないので耐えられますが、今回の-14度は生活する中での温度ですから、それはもう半端ではありません。
この日は、余りにも寒いので途中、悲観的、いや避寒的になり、近くのスーパーや市場へ避寒に走り楽観しました。普段一度も暖など取らないのに、何と二度も暖をとり段々暖々と暖まりました。
この日の経験を経てからは、その後少々の寒さ位何でもないというような心構えができました。
元気にやっています。皆様は?皆様もお元気で。

1967年2月5日はザ・タイガースが「僕のマリー」でレコードデビューを果たした日でした。
今日は2月5日、丁度今年で50周年というわけです。この間(2016年1月6日於東京国際フォーラム)、沢田研二の新年のコンサートを森本太郎と一緒に見に行ったのですが、その舞台で沢田は、「音楽業界ではレコード発売日が歌手デビューということになる」と言っているのを聞いて、そうか我々の音楽界・芸能界の誕生日は2月5日となるのだと知ることになりました。
50年半世紀、時の長さを感じずにはいられません。
本当は昨年12月3日の「カキツバタライブ」のDVDがこの2月5日に発売できればいいのにと思っていましたが、昨日が立春で、少しずれこんで啓蟄(3月6日頃)を過ぎる辺りになりそうなので、少し残念なのですが皆様には今暫くお待ちください。

1971年1月24日はザ・タイガースが武道館で解散した日です。
ところで、個人的なことですが、先の2月5日は二男の誕生日でもあり、後の1月24日は長男の誕生日です。
二男の誕生日にザ・タイガースはレコードデビュー(1967年2月5日)し、長男の誕生日にザ・タイガースは武道館で解散(1971年1月24日)したことになります。

僕は「名神」は道路的には「通るもの」で、「迷信」は科学的には「通らない」ものだと信じて来ましたが、本当に不思議です。僕の子供たちとこんなにザ・タイガースと繋がっていたとは、今回初めて気が付きました。深い深い縁があったのですね。

[photo]  「2月5日と1月24日」 >>

 2016年2月5日  ひとみみのる 記



東京➡北京

天地無用、天智有用、天地創造、天地開闢、天地神明、天地人間、
天地玄黄、天地有情、天地根元」
東京➡北京 「天地人、新天地、別天地、楽天地転置転換、転地療法」

1月15日
やがて降下しようとする機上から北京の街を俯瞰しましたが、街全体が黄色い靄 にすっぽりと覆われているようでした。昨年9月にもこの地に来ましたがそれから4か月ほど経ち、PM2.5は更に悪化しているようです。
無事着陸し、機外へ出ると、すぐに石炭を燃やしているような臭気がしました。この臭気は、工場の排煙、自動車の排気ガスに加え、冬の間、暖房の燃料として石炭が用いられることから来るのでしょう。

1月16日
昨晩は「しゃぶしゃぶ」(涮羊肉。薄くスライスした冷凍の羊肉を沸騰したスープに軽くくぐらせ、ゴマだれやその他薬味などにつけ、短時間で煮た野菜や春雨などと共に食す)をメインの肴に、先ずビールを軽く一、二杯、その後アルコール度数が52度の白酒(「五粮液」)をフルボトル、普段なかなか高くて手の出ない高級酒を僕の分量で半分ほど空けました。総勢四人でしたが、すっかり酩酊を通り越し、泥酔一歩手前に。
厳寒の北京ではこの料理は白酒拍手喝采、白酒は最高に身体が温まる。涮羊肉も最高に上手く感じられ、この季節はどの料理にも勝る北京を代表する料理なのです。
その結果、今日は今年二回目のスゴイ二日酔い。一度目は大晦日から河北省の「邯鄲」でなく新宿で元旦にかけて「肝胆相照らす」友と簡単に二日酔い。もうおサケたいのにサケられない。昨年の芝居で李白に言わせましたが、「酒が僕をサケてくれない」のです。今日一日は全くの断酒・禁酒。もうはこりごり。心がサケマス。でも明日は?

1月17日
今日はその酒抜きの日から起床、窓のカーテンを開けると、外は薄っすらと雪景色、雪の降った後の空気は澄み、天は青く、昨日のPM2.5の曇天も何処へ消し飛んだのか、快晴、散歩に出ると皮の手袋をしてダウンのジャンパーのポケットに手を突っ込んでいても指先が凍り付くほど、おまけに風があり日陰に入ると凍えてしまうほど。
いつもの散歩は目の部分を残して完全武装、途中車のフロントガラスに積もった雪に素手で落書きすると、すぐに手がかじかんで氷水に浸けたようになってしまった。
今回の来燕(春秋・戦国時代この地華北に「燕」という国があったので)は、ある目的でやって来たのです。その目的は成就するか否か(北京は田舎ではありませんが)、わかりませんので明らかにできませんが。
もし、近い将来その夢がかなったら公開させていただきます。
さて、長々と綴って来ましたが、今年の公式ツアーの始まりは遅く、10月~12月辺りになる見込みです。それまでに、また何かできればと考えているのが現状です。
そんなに間を空けないで何かイベントをやりたく思っております。目下一生懸命に考えておりますが、何せその他の関係もあり思う様には参りません。悪しからず今少しお待ちください。

[photo]  東京➡北京 >>
 ひとみみのる 記
北京にて 2016年1月18日

新春ご挨拶
菜一汁、百歳白菜、千歳善哉、万歳漫才、十万充満、百万千万、億歳京歳、お茶の子さいさい、天才奇才、秀才凡才、商才小才、仔細繊細、前妻後妻、
前菜主菜、負債完済、戦債未済・・・。
閑話休題、


欣賀新年 吟賀新年 同賀新年、恭(今日)賀新年。
新年明けましておめでとうございます。
千歳千歳 千千歳!万歳万歳 万万歳!

「年年歳歳、歳歳年年」昨年も今年もまた来年も「者は追わず、狂う者も拒まず」、「弘法も木から落ち、も筆の誤り」(?)の言葉通り、「かぶれず、ぶれずの精神」(!)でやっていければいいなあと、新年に当たって更に信念も新たに、虚仮の一念 巌も通し、表パン屋裏飯屋、間違いは人の常、めげずに今年も頑張ってやって行こうと思っております。

二十二世紀バンド
2015.12.3 渋谷さくらホール
「22世紀バンド」、今年も新しい趣向を凝らして行きたいと思っておりますが、そのライブの計画の詳細な日時・場所などは目下未定です。決まり次第お知らせ致します。
バンドメンバーともども、千万年、億万年、永遠に、永遠にご支援宜しくお願い致します。
恒例の、高齢(古希)の僕の「バースデーイベント」は9月22日に、今年はペリー上陸の地、横須賀で行います。
よろしければ是非ともお運びください。


皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

 2016年(平成二十八年) 元旦  ひとみみのる 記


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