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メッセージ from ひとみみのる


恭賀新年

皆様への年賀状

「瞳みのる&二十二世紀バンド」はお陰様で今年結成5年目を迎えます。一昨年10月には北京、昨年12月には台北で公演を行い、共に成功裏に終えることが出来ました。
これも偏に皆様のご支援の賜物と感謝しております。
今年は「柳の下の泥鰌」とばかり、大好評を得た台湾公演の再演を密かに目論んでおります。
またお馴染になったバースデイ・イベントは9月23日(祝日)に、 かつて住んでいた千葉県市川市にある和洋女子大学講堂で開催します。
お運び頂けますよう、万葉ゆかりの葛飾真間で鶴首しております。
今年は6回目の年男にあたります。
「新年の信念」と銘記して邁進致しますので本年もどうぞよろしくお願い致します。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈り申し上げます。

平成30年 元旦 人見 豐(ひとみみのる)

新年を迎えて:
新年おめでとうございます。
恭賀新年、今日が新年、昨日も今日も新年、つまり、年内はずっと新年。おめでたい。
新年なく生きるのは信念がないぐらい難しいようですね。
「 恙無く」、恙虫(つつがむし)に、嫌われるように生きて参りましょう。
「無病息災」とは「無病」で夢遊病、無夢遊、呆け老人にならないこと、
「息災」とは、即細、「細君に即(つ)いて」というのは誤りで嘘くさい。
「息子の災い」では無く、「災いが息(や)むこと」が正しいでしょう。

戌年の根付け
インゲン和尚、元へ人間生身の身体、病気になることだってある。
だが、「小病で、大病に注意し、小災は詳細に検討して、大災に注意しましょう。」
新年も旧年同様よろしくお願い申し上げます。

 平成30年1月5日 ひとみみのる拝


「東京・台北」

≪東京≫
2017年12月10日

「四谷区民ホール」は今年のツアーで初めての東京である。やはり尾張名古屋同様、最初で最後。前回11月12日の京都「磔磔」から間が一か月程度空いたので復習、予習など来たる台湾ライブも兼ねて練習を2回程度行なった。
四谷では、ベースのケンヤ(高梨絢也)がギター担当で入るので、ネロ(キクチヒロミツ)とツインギターとなる。そうなれば、ぜひともやってもらいたいのは「Hotel California」でしょう。
12月5日にベースのジェフ(山森正之)を交えて練習を行なったが息はピッタリ、準備はキッチリ、12月10日の本番もバッチリである。ギターが2本入ると音に厚みが加わり、演奏しているメンバーもいつにも増して楽しそうであった。
本番の「四谷区民ホール」での演奏は日本での年内最後とあって、いつにも比して力が入った。メンバーは緊張、お客様はやや謹聴。曲が進むにつれてキンチョウが解け、場内は熱気に覆われ室温は上昇、12月も初旬が過ぎるというのに、どこかで越冬し始めていた蚊まで復活参加、蚊取り線香・金鳥の出番となった(穴談、元へ半ば冗談)。
セットリスト後半、出演者は旨い寿司屋のように海苔がよくなり、来場者はサーフィンができそうなほど波に乗りまくりました。


≪台北≫
12月15日(金)

東京・羽田空港を飛び立ち台北・松山空港に降り立ちました。僕を除きメンバーは全員初めての台湾。もし怪我でもしたらと僕はバンドエイドではなく包帯持参の訪台でした。

12月16日(土)
ライブは午後5時定刻に始まり7時に終わることになっていましたが、終了したのは7時半をとっくに回っていました。何と30分以上も超過していたのです。
今年最後のライブで、しかも異国での開催。時間の概念が吹っ飛んでいたのでしょう。休憩なしでメンバーと客が一体になって盛り上がるなど今年最高のライブとなりました。観客はハナ(ツルウチハナ)の踊るキーボード操作にぶっ飛んだことでしょう。もちろんドラム及びパーカッション担当のイチロー(高橋一郎)は大活躍。

それに華を添えたのは、ボランティアで来ていただいたスペシャルゲスト、稲村なおこさんの美声です。台湾の人々の心に染み入ったことでしょう。音響スタッフで同行していただいた西野一夫さんにベースの担当をお願いして「Hotel California」がジェフの代わりにできたことも大変ありがたく思っています。

12月17日(日)
台北での最後の晩餐を前に昨日のライブハウスの会場に行き、会場費の残金(半金)を支払いました。本当は全額前払いが常識ですが、半金は後払いでもいいと老板(ライブハウスのオーナー)が言ってくれたのです。人間を信用する言葉に僕はいたく感動しました。したがって、全て借りは清算してきたことになります。
いつでもどこでも、借りはきっちり清算する必要があります。たとえ成算がなくとも。これをセイサンカリとも言います。青酸カリ誤用すれば必死。キリストの晩餐では聖餐、工場では生産、恋愛では清算、結末では凄惨、間食でなく正餐
快い疲労によるのか感情が弛緩してくると言語の抑制も取れるようです。今日はさすがに気の抜けたソーダ水のような体たらくです。ソーダ、ソーダ、気抜けのソーダ、起き抜けの水、頭も体も動きません、悪しからず、失礼しました。

最後に、皆様のご支援に心からお礼を申し上げます。誠に有難うございました。応援に来ていただいた方、お花をお送りくださったファンクラブの方、応援のエールを絶えず送っていただいた方、そしてご支援いただいたすべての皆様に心よりお礼と感謝を申し上げます。
本年は有難うございました。来年も22世紀バンドをよろしくお願い致します。
皆様おかれましては、来年がさらに良い年になりますよう心よりご祈念申し上げます。

ひとみみのる拝
2017年12月19日(火)

最後に、協賛の各社及び有志の方々のご支援、誠に有難うございました。

後援:日本台湾交流協会 日本台湾交流協会台北事務所 臺灣日本人会  慶應義塾台灣三田会 
協賛:東友科技股份有限公司 臺灣大正製薬股份有限公司 台灣富士全録股份有限公司 和泰興
   行股份有限公司 株式会社UFI FUTECH(ファミマ・ドット・コム)

協力:伊利創意設計有限公司  東日観光株式会社
スペシャル協力:手塚精一 二見祐樹 汪瑩 齋藤耕路 李研の各氏




「尾張名古屋と三都物語」

2017年11月2日
「スペードボックス」は今回のツアーの最初、最初で終わり、尾張名古屋、昨年は名古屋で公演していないので2年ぶり。
ツアーの初日はいやが上にも緊張と興奮が増し、必要以上に力が入り過ぎて、いつも公演後悔いばかりが残る。でも、このような状況で無我夢中にライブができることが初日らしくていいのかも知れない。
今回のベースはケンヤ。彼はすべてのリハーサルに参加してくれたが、演奏はこの名古屋と台湾の2回のみ。というわけで舞台ではケンヤに対するファンの方の声援は一段と高かった。それを意気に感じて彼も持てる力をすべて出し切るようにプレーしたようだ。
この日は平日の夜公演、お客さんの入りが心配されたが、開演時間にはほぼ満席で僕もホッとした。本当にお客様は有難い。
公演後は名古屋駅前近くの柳橋市場内で一杯やり、最終の新幹線に乗って東京へ戻ってきた。もちろん車内でも酒はサケられず、ワインを持ち込み結構ほろ酔いを通り越して家に着いた頃は酩酊状態に近かった。
「尾張名古屋は城でモツ」というわけで、「鯱」(しゃちほこ)は食べられないので、「~モツ」からの連想のモツで一杯。「牛モツ」、「豚モツ」などあるが、名古屋名物として手羽先が有名だから、モツは鳥で「鳥モツ」となった。仲を「鳥モツ」とばかり。
とはいうものの、名古屋では前回もそうであったが、結局駅前のすし屋が旨く、今回もそれに魅かれてその寿司屋へ。ところが店はすでに満席。店の前にも客が並んでいて、何でも小一時間ほど待たねば空かないとのこと。しかし待っている時間はない。仕方なく近辺を物色して市場内にある海鮮居酒屋に入った。
それが大正解であつた。魚はすべて天然もので特に美味しかったのは、タコ、マグロ。特にカジキマグロが最高であった。いままであれほど鮮度がよく部位的にも最高のカジキを食べたことはない。あんなマグロを毎日食べられれば、カジキしても、いやもとへ、喩は悪いが「乞食」しても構わない。エビフライ、カキフライも少し食して大満足。値段はすし屋よりもうんと廉価。

11月10日
大阪はナニハなくてもタコ焼きか。
ライブ会場の「ロックタウン」は、大阪阿倍野区にある2014年開業の高さ300mを超える日本で一番高い高層複合ビルの斜向かいにある。キタ、ミナミに次ぐ大阪第三のターミナルに位置する阿倍野で約250店舗からなる大阪府下最大級のモール型ショッピングセンター(4階建)の4階である。
今日から三日間連続のツアーとなる。京阪神ツアーのベースはジェフ、ジェフは満を持しての登場。この日は特に何時にも増して気合を入れメンバーを引っ張ってくれる頼もしい存在となった。どのようなことがあっても至って冷静沈着、彼に対するメンバーの信頼は抜群で僕も大船に乗ったような気分になれる。
昨年に続く公演。名古屋に次いで2度目ということもあり、精神的にはかなり落ち着いてプレーできた。いつもそうだが満足できない点はやはり多々あった。これらの気持ちは永遠に続くのだろう。いわばプレーヤーの宿命かもしれない。
公演前日に大阪入りし姉と義兄らと近くの海鮮居酒屋に出かけた。彼らの家から徒歩で10分ほどの距離である。僕は、義兄から紹介されたこの店が大好きである、魚は先週、今週、そして来週も泉州(和泉の国別称)産の魚がメインである。特にうれしいのは、鱧、アナゴ、ウマヅラハギなどなど。僕はここで鱧やアナゴの刺身を食べたことがある。今は時期ではないが泉州岸和田の水ナスも絶品。明日も頑張ろうという気持ちが自然と湧いてくる。食べ物の力は実に偉大だ。

11月11日
「神戸スロープ」というライブハウスで演奏した。
山陽新幹線の南、在来線の北に位置する三宮近くの六甲の、なだらかなすそ野にあることから「スロープ」と名付けられたのだろうと推測する。建物は古く、何でもこの冬に閉店になるそうだ。
今回のライブは名古屋・大阪に次いで3回目になる。自分では最も精神的に落ち着いてプレーできたように思えた。あくまでもだが、それなりに、である。
前日大阪公演の際ステージ上で、キーボードのハナとギターのネロができればまた、神戸で食事会ができればうれしいと僕に向かって言った。
僕は思った。およそ、仕事が終わってまで僕に付き合うのは気分的に彼らの精神的負担になるのではと危惧していたのである。
僕はその言葉を聞いたがわざと何の返事もせずに、神戸でのライブが完全に終了してから彼らに言った。
「これから三宮の昨年行ったお好み焼き屋へ行こうと」と。
勿論、このサプライズ提案にハナ・ネロは無論、メンバーは大変喜んでくれた。このようなときにみんなでバンドをしていてよかったとつくづく思えるからうれしくなる。
メンバー全員で街に繰り出した。昨年の印象がよかったので、同じ店を何とか探し出して行ってみたが、店は見つかったものの時間が遅かったせいか品切れということで、今一度同じような店を探すことになった。
街は雨が降り出し適当な店も見つからず右往左往したのだが、通りがかりの和服を着た花柳界の粋なお姉さんがいたので、僕はこのような女性ならきっと美味いお好み焼きを食べさせる店を知っているに違いないと思い尋ねると、果たしてこの近くにいい店があるとのこと。道案内までしてくれ昔からやっている老舗を紹介してくれた。結果これが大正解であった。
牛モツ焼き、ネギ焼、オムレツ、ソバ飯、モダン焼き、海鮮野菜炒め、エビラ焼き(店名から取った?)、トンペイ焼き、どれもみな最高に美味だった。
〔とん平焼き・豚平焼(とんぺいやき)は、鉄板焼きの一種。関西のお好み焼き 屋・居酒屋などに多い。発祥は、戦時中にロシアの捕虜になった『本とん平』(大阪市北区)の店主が、現地の兵隊が食べていたものを参考にして出したもの。とん平焼の語源は豚を平たく焼いたものから〕
東京では最近、お好み焼きの店に行ってもお好み焼きは食べず、もんじゃ焼ばかりであった。というのも、もんじゃのどんなものでも具として受け入れる包容力にすっかり参っていて、関西に比べて「どんなもんじゃ」と考えていた。
関西のお好み焼きに対しては、若干粉が多すぎてボテっとして、すぐにおなか一杯になってしまい、酒のつまみとしてはいささか問題ありと考えていた。ところが、三宮でお好み焼きの幅の広さ、美味さ、豊富なメユーに接して、目から鱗が落ちた。
ところで皆さん、メンバーの中で大食漢は誰だと思いますか。
メンバー中大柄なジェフではなく、意外や意外、何時もそうであるが、最も体重が軽く、小柄なイチローです。彼は多分僕の二倍以上は食べていると思う。上記のメニュー全て彼は最初から最後まで参加していた。エネルギーを人一倍使う同じドラマーでも

11月12日
今回の三都の物語の最後は「古都の事」。
京都で名門のライブハウスと言われている「磔磔(タクタク)」でドラムを叩き、身体が「クタクタ」になった。ふと、公演前に「タクタクでクタクタ」というような回文が頭に浮かんだ。なんだか磔(ハリツケ)の刑に遭ったみたいに。
いや、終わってみればその通り。酒蔵として使っていたところをライブハウスにしたとのこと。でも幸い刑場でなかったようだ。
今回のドラムは一台で全会場を回り、僕がドラムを叩く場合イチローはパーカッションに徹してくれ、特に「ホンキー・トンク・ウィメン」のカウベル、「スタンドバイミー」のトライアングル、「シーサイドバウンド」のティンパルは欠かせなく、その存在を十二分に発揮してくれた。僕が前で歌うとき、時々譜面台を前に持ってくるのを忘れ、僕があたふたすることがある。いやこれもご愛敬。
それにしても、この会場の前列は僕の足元、少しシャウトすると、唾が飛んでいくのが見えた。僕の鼓動も聞こえようだし、鼻毛まで(カットしておいてよかった)見えたのではと心配した。出入りも場内の狭い通路を通って、まるでプロボクシングの選手入退場のようで本当に照れくさい思いをした。しかしファンの方には喜んでいただけたようでしたが、いかがでしたか皆様。
それにしても、やはりライブハウスツアーで皆様と距離を置かずに接することができ同じような熱気・エネルギーを共有できてプレーヤ冥利に尽きるというもの。
時期は紅葉、気分は高揚、結果は効用、また、来よう、恋うように。
公演後は一泊して翌日東京へ戻ることにした。その公演後、京都の悪友に誘われ祇園でまたも深酒。シャンパンとワイン。
この三都で毎晩のように食べ歩き、飲み歩いたので身体は完全に疲弊していた。翌11月13日はまったく何もする気力がなく一日無為に過ごしてしまった。反省と後悔。
それでも食欲だけは普段ほどではないが何となくあり、錦市場で京都のおばんざい(惣菜)、出汁巻き卵、珉珉で餃子2人前を購入して新幹線に飛び乗った。
当夜は酒も飲む気にならず、ご贔屓の方からの差し入れで頂いたアナゴ寿司を一緒に食べて簡単に夕食を済ませた。その夜は顔にも「憂色」在りというわけだ。

ひとみみのる 記
2017年11月21日

瞳みのる&二十二世紀バンド  LIVE2017 四谷区民ホール



「尾瀬の郷親善大使任命式」

「水芭蕉 降り込められて 春を待つ 片品村に 天王桜」
10月13日、群馬県利根郡片品村で僕が任命された「尾瀬の郷親善大使」の任命式がありました。
10月12日、今年度のライブツアーに向けてのリハーサルを夕方5時に終えた後、車で都内から当地に向かいました。東京を出たときは半袖でも汗ばむ暑さでしたが、トイレ休憩で寄った関越道上里サービスエリアに着く頃には小雨がぱらつき、すでに肌寒く感じられました。
日もすっかり暮れた8時ごろ、目的地近く「花咲温泉(花の駅片品・花咲の湯)、翌日は以前から尾瀬の郷親善大使を務める稲村なおこさんと共演するミニコンサートが開かれる所」で夕食を摂るために車から降り立つと、足元が濡れるような雨と変わり、長袖に上着を着ていても寒く感じました。天気予報で、13日からは全国的に気温が急激に下がると言われていましたが、当地ではすでに下がり始めていました。それもそのはずこの地の海抜は800余メートルとのことですから。
遅い夕食を済ませ、更に車で15分程度かかりましたが、当夜宿泊する村役場近くの旅館に着きました。旅館には露天風呂と屋内風呂の二つがありましたが、やはり風情のある露天風呂へ入りました。温泉は透明で、すでに晩秋の風情、落葉が湯船に浮かんで野趣がありました。温度はややぬるめ、長時間入浴してしっかり温まるには最適です。しかし露天風呂ゆえに雨粒が落ち、ゆっくり浸かっていることもできないので適当なところで切り上げ、湯上りの一杯と参りました。
翌日、午前10時から村役場で職員が全員居並ぶ前で晴れがましくも気恥ずかしい任命式が行われました。そのあとは役場前に特設された会場で、参集してくださった村民や、遠近含め駆けつけてくれたファンの方の前で挨拶をして一曲歌いました(「花の首飾り」)。
午後2時から先日の台風で延期になったミニコンサートが始まるまで、村役場の方の案内で、尾瀬の散歩の起点・終点でもある大清水口へ今最も綺麗な紅葉を見に出かけてきました。でも生憎の雨、それが残念でした。
ミニコンサートを終え、夕方5時過ぎに帰途につき、9時半ごろ都内の自宅に戻ってまいりました。
様々な方に大変お世話になりました。村長を始め一人ずつの方に再度直接お礼を申し上げたいのですが、それもままなりませんので、紙上を借りてお礼申し上げます。
本当に素晴らしく、楽しい、心に深く残る思い出を有難うございました。
今回親善大使に推薦して頂いた稲村なおこさんに感謝します。


「水芭蕉 夏の思い出 尾瀬の郷 秋雨煙る 天王桜」
「芭蕉翁 雨に降られりゃ 水芭蕉 尾瀬の郷にて 秋雨宿り」

[photo] 尾瀬の郷親善大使就任ミニコンサート >>
ひとみみのる 記
2017年10月14日








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